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1,500kmの孤独

 久しぶりに名護の夢をみた。真夜中だった。空気は少しひんやりしていた。僕は許田の港ちかくに伸びている、モクマオウが生えた浜辺を1人で歩いていた。

 雲ひとつない、月の夜だ。山と空の境目が白く浮かんで見えて、モクマオウの枝葉がゆさゆさと揺れているのが分かった。僕は歩く足をとめて、流木の端に腰をおろした。幾度となく押し寄せる波の音と、ヤドカリが駆ける音を聞いた。時々、名護曲の方角から自動車の音が聞こえた。かなりの速度を出しているのが音で分かった。おそらく運転代行の車だろう。しばらく座っていると、遠くの堤防からぽこっぽこっという音が聞こえてきた。堤防の底の凹みに水が当たる音だ。どうやら潮が動き始めたらしい。僕はまた歩き出した。

 僕はこの場所が夢であることを、許田の「道の駅」に向かう途中のところに立っている人型のモニュメントを認めたことで知った。現実にはそのようなものはないが、全身が鈍色に塗られた巨人だった。どことなく平和を象徴しているように見えた。僕はその前を通り過ぎ、街までの道をゆっくりと歩いた。

 いつのまにか市街地に着いていて、名護十字路まで行くと、ほとんどの店がシャッターをおろしていた。コンビニは、なぜかどこにも見当たらなかった。ただ一軒だけ、人でにぎわっている店があった。八百屋のように品物を歩道に並べていた。その棚には野菜はもちろん、魚介類や日用品もあった。行き交う客はみな顔がぼやけていた。僕が彼らを見ようとする時だけ、店の灯りが急に強くなった。これだけ近くにいるのに顔が見えないという体験は、僕を寂しい気持ちにさせた。はじめはこの人だかりを見つけてほっとしている自分がいたが、じきに孤独を感じるようになった。そしてこう思った。僕はどこまでいっても孤独なのではないか。

 モクマオウの生える海辺から歩いてきて、僕は再び孤独を味わった。その孤独は、平日の昼下がりの教会に差す陽光でもってしても癒しがたいものに思えた。あのやさしい光――ステンドグラスの温もりがなつかしかった。振り香炉の香りをもう一度嗅ぎたい。あれは夢だったのだろうか。

 東京に来て、数ヶ月が経った。車を運転しない生活にも少し慣れてきた。沖縄で出会った友人らがメールを送ってくれる。「東京の生活は慣れたか?」「沖縄の海が恋しいだろ~」「帰ってきたら連絡しれよ」「飲みにいこーや!」どうやら僕は東京で暮らしているみたいだ。実はあまり東京で生活しているという実感がない。というのも、僕は少し長い旅行をしているような気分になっているからだ。仕方あるまい。これまで数ヶ月という期間を沖縄以外の土地で過ごしたことがなかったのだから。現実が遅れてやってくることだって時にはあるだろう。「ぼけっとしてると、現実が追いかけてくるぞ!」そんなフレーズを青春小説で読んだことがあったっけ。18歳になりたくない17歳の男女がひと夏を駆け抜ける、そんな話だった。その本のおかげで、僕は18歳をなんとかやり過ごした。そして成人式には行かなかったけれど、23歳になってしまった。

 繰り返すようだが、僕は東京に引っ越してきた。不思議なことに、いつのまにか自分が、この街に長く住んでいるような感覚になっている。駅前までのバスに乗り、改札を通り、電車の中では単行本をめくり、電車をおりて、階段を上る。再び改札を通り、地上に出る。潜水ごっこもいいところである。何かから逃げるように地下にもぐり、素知らぬ顔をしてまた地上に出てくる。やってみると意外と簡単である。「地下鉄乗りこなし検定」4級と3級にダブル受験でもしてみようかしら。履歴書に書ければ上等だろう。

 とはいえ、思い出すのはいつも故郷の海や街、親しかった沢山の人々である。絶品ペスカトーレを出すスパゲティ屋のおじさん、安価で美味いワインを教えてくれるダンディなお兄さん、笑顔が絶えない洋食屋のおばちゃんに、1年半お世話になった老舗バーのマスター。あ、あと市場にある珈琲店の店主も。離れてみて、自分が名護という街を好きだったことを知った。そしてそこには、僕と親しかった人々が今日も生活している。そう思うと、僕の孤独も少しは紛れる。昨晩、母親からメールが届いた。「あんたタンナファクルー食べるね?スパムは入れとくけど、はちゃぐみも食べるよね?もう送ったけどさ」とかとか。久しぶりに沖縄に帰ろうかな、ゴールデンウィーク後にしようかな、お盆には帰らないと。

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