忘れもの - 文学ナビ
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忘れもの

浜辺に流れ着いた流木のように、いつしか人の心に住み着く記憶がある。穏やかな波にのせられて、ゆっくりと浜辺に流れ着く記憶がある。

僕の中にもいつしかそういう記憶が、護岸をなでる凪の日の波のように、静かにまとわりついた。見渡すかぎりの濃い霧に、温かくも冷たくもない風の中に、僕の記憶は生まれて、落ち着いた。

右から左に、思い出してまた左から右に、どこにも行かない記憶がぼんやりと浮かんだ。僕は眺めていた。どこにも行かない記憶を、とても遠い時間を見るように眺めていた。

いつかこの記憶が、僕がいなくなった後もそこにいつづけるだろう記憶が、また誰かの浜辺に流れ着かないように、誰かの時間を止めてしまわないように、いつしか祈るようになった。

最近ふと、あの街の音が聞こえない、と思う。生まれ育った名護の街の音が聞こえないことに、寂しさを覚えるようになった。

名護を出たことに後悔はないし、沖縄を離れたことにも後悔はない。けれども、いつしか「忘れもの」をしてきたような感覚になった。

まだ遠くはない、手を伸ばせば届きそうなところに忘れものをしてきたようなのだ。「取りに帰るべきだろうか」そう、よく自問するようになった。

しかしどうやって過ぎ去った時間にしてきた忘れものを取りに行くのだろう。取りに帰ったところで、忘れものをした場所に、忘れものはあるだろうか。

もし忘れものが見つかったなら、とても満たされるかもしれない。でも僕はもう一度、そこで違う忘れものをしてしまうと思う。忘れものを取りに帰ったのに、忘れものを取りに帰ったもう一人の僕をそこに置き去りにしてしまうような気がするのだ。

僕は東京に戻るのに、もう一人の僕はいつものように車に乗って、きっとあの交差点で信号待ちをしている。そして街の音を聞いて、お気に入りのCDを聞く。どこか諦めたような顔をして、交差点を走り去っていく。やがて見えなくなって、また忘れものが後ろに落ちていく…。

今年11月中旬、沖縄都市モノレール「ゆいレール」の車両が停車すべき駅を通り過ぎてしまい、約20人に影響が出た。当時の運転手は、考え事をしていて駅を通過してしまった、と説明したそうだ。

このニュースには賛否両論あるだろう。運転手としての責任が問われる一方で、どこか「そういうこともあるよね」と納得している自分もいる。

少数だとは思うが、僕と同じように「仕方ないよ。そういうこともあるさ」と共感した人もいたのだろう。当然、今回のニュースも他の出来事と同じように過ぎ去ってしまった。

しかし、その出来事は東京で暮らす僕にとって1つの違和感となった。出来事もそうだが、考え事をしていて駅を通過してしまった、という説明は徐々に僕を落ち着かせないものとなった。

無論、ニュースは現れては消えていくものである。日常の些細な出来事も、ただ流れていくだけである。でも、本当にそれでいいのだろうか。そうして日々を過ごしていて、いつかあの日の彼(彼女)を救えるのだろうか。

僕は想像のなかで、あの日モノレールが通り過ぎた駅に立ってみた。いつもの街の音を背中に感じながら、「止まるはずのモノレール」を待っていた。久茂地川のカーブに沿って、車両がゆっくりと駅に入ってくる。

車両は止まらずに、走り去っていく。止まらない車両の先頭で、運転手が遠くを見つめている。その目は、とても遠い時間を見ているようだった。

車両の尻がみえて、やがて見えなくなる。駅に残された僕は見えなくなった電車のことを想う。そして、運転手のために、忘れものを探すことにする。

止まった時のなかで、あわてて忘れものを取りにきた運転手の話を聞いた。どんな考え事だったのか、なぜそこまで考え込んでしまったのか、話を聞いた後、僕は駅のベンチに座って、涙を流した。

なぜだか分からないけれど、とても遠い時間からずっと、涙を流している気がした。身に覚えのない悲しさのために、涙が止まらなかった。しばらくして、泣いている僕に向かって運転手は言った。

「一緒に探してくれて、ありがとう」

沖縄は今年で戦後75年を迎えた。モノクロで見る当時の映像がにわかに信じがたいほど、人口は増え、大きな街ができた。その間にアメリカの時代があり、多くのアメリカ軍兵士がベトナムへと旅立った。

きっとあの日だって、海は青く、暑い日差しが降り注いでいたのだろう。75年が経ち、一体何が変わって、何が変わらなかったのだろうか…。

過ぎた時間は二度と戻ってはこない。そう分かってはいても、もう一度帰りたい場所、もう一度会いたい人がいる。

そして今も、あの日の忘れものを探している人がいる。僕だって例外ではない。でも、そう考える度に、もう一度失ってはいけない、と自分に言い聞かせる。

もし今度、あの日に置いてきてしまったもう一人の自分に会えたなら、「一緒に探してくれてありがとう」と声をかけてあげたい。

※このエッセイは、沖縄詩人会議『縄』第40号に投稿しました。