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線を越えることについて

エトガル・ケレットの「Just Another Sinner(ありふれた罪人)」という2000字程度の文章のなかに作家の苦悩が綴られていた。「作家はぼくらを約束の地に連れて行ってくれはしないし、世界に平和をもたらすことも、病めるものを癒すこともない。しかし作家がその職務を正しく行ったならば、さらにいくらかの虚構のカエルたちが生き延びることとなるだろう。」作家は普通の人々と何ら変わらない―いくらか鋭い知覚をもち、ちょっとだけ正確な言葉を用いて描いてみせるだけで、本質的にはありふれた罪人に過ぎないのだ。この真実について、彼はモノを書くことをはじめたその日から知っていた、という。作品では、しかしながら彼はしばらくその真実を忘れてしまっていて、とある朗読会で本物のライオンと出くわし、恐怖を一瞬のうちに感じてしまう。彼はいつのまにか、虫とカエルとの間に横たわっている決して越えてはならない線を見失っていたのだ。

彼がはじめて小説を書いたのは、19歳の頃だったという。当時彼は兵役中の兵士だった。おそらくではあるが、当時の彼にはあらゆる種類の線が見えていたはずである。敵国との軍事境界線、軍組織内のヒエラルキー、生と死の境界、そして20歳という区切り。彼は窓のないコンピューター室のなかで初めての小説を書きあげた。特別長い勤務時間を使って。

僕がはじめて小説を書いたのは21歳の頃だった。そのころ僕は大学4年生で、学生生活さいごの夏を沖縄県北部の街「名護市」で過ごしていた。あの辺野古基地がある名護市である。幸か不幸か、辺野古基地は僕の過ごす西側とは真逆の東側だったので軍用機を目撃することは読者の想像ほど多くはなかった。目撃頻度でいえば横田基地の方が多そうである。とはいえ、基地が小高い丘の向こうにあって、「いざとなればそこから戦闘機が音速で飛び出していくだろう」という直感は幼い頃からあった。夕暮れの名護湾にひろがる凪の海を眺めている時でさえ、その感覚が消えたことは一度もなかった。背後の丘から見たこともない大きさの飛行物体が顔を出す様子を頭のなかで何度も繰り返しながら、目の前にひろがる海を眺めていた。現実にそういったことが起こるとは到底信じられなくても、いつだって「そういう時」のための覚悟だけはしているつもりだった。本当にそう思っていたのだからどうかしていたとは思うけれど。

はじめての小説は僕の大学生活を詰め込む結果となった。そのせいで話の筋がいくつも登場し、ショーの予定になかった機体まで参加させられることになった。それなりの盛り上がりは見せたけれど、何を目的としたショーなのか、観客には最後まで分からないまま機体は空中分解した。幸い、その小説では一人として死傷者は出ず、不満げなパイロットがパラシュートで下りてくることで一応の着地をすることができた。改善点はたくさんある。ショーの長さ、機体に乗るパイロットの性格、発射許可を出す人間の居眠り、など。次のショーまでしばらく時間が必要である。

その小説を書き始めた時には、ただ漠然と「なつかしいもの」を書こうと思っていた。少なくとも自分が振り返って読んだ時に、当時自分が感じていたものや未来に対する希望のようなものを書き留めておくつもりだった。ちょっとしたタイムカプセルみたいなものとして。しかし実際には「大学4年生の夏」という、もう二度と戻ってくることのない時間が一日一日過ぎていく虚しさや寂しさを書かずにはいられなかった。そうして過ぎていく時間を呪って、僕は当時おそらく「当時の自分」をそのまま作品のなかに閉じ込めようとした。それは「少女の死」について語る「彼女」の文章にもあらわれている。ほんとうに美しいものがその美しさをいつまでも所持し続けることができるのだとすれば、それは早すぎる死によってではないか、というものである。

今思うことは、当時の自分に「老い」というテーマは荷が重すぎたのかもしれない、ということである。その頃はまだ「老い」に焦点を絞った作品(たとえば『階段を下りる女』)には出会えていなかった。ゆえに痛いほど感じることになった「時間」の重さ、ないし無慈悲な性格を呪いたいと思ったのだろう。どこに行っても、誰に言い放っても、あの寂しさを拭うことができなかった。そんなものが重くのしかかっている。でもそれは繰り返すようだけれど、当時の自分にはどうすることもできなかったと思う。そして今でもけっきょくどうやってあの当時の自分に声をかけたらいいのか、分からないままでいる。

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