沖縄から台湾を経由して、さらに南下をつづける先にベトナムはある。沖縄での季節は夏の終わり、9月の初旬に、私はベトナムの地に足をつけた。空港に降り、いくらか硬質な大理石のフロアを抜け、イミグレーションを済ます。
荷物の受け取りを終え、振り返るとすぐに、空港内のカフェからのぞくベトナムコーヒーの広告が目に留まる。僕はごく自然にアイスコーヒーを注文する。カフェの彼女は豆の入った管をあけ、小さめのミルで手際よく豆を挽く。少し泡の多いこげ茶色の液体がふわふわとカップに注がれ、やがて目の前のテーブルに僕らの見慣れた景色が姿をあらわす。
その一連の動きに、僕は入り込む隙間を探そうと躍起になる。そうせずにはいられないのだ。たとえばコーヒーはいつから「僕らのコーヒー」になるのだろうか。そういう命題が僕の視線を一時的に支配することになる。そうなると、僕らのコーヒーの誕生は、缶から豆を取り出す瞬間かもしれない。あるいはテーブルにみちみちと注がれたそれを目にする時かもしれない、と考え込んでしまう。いずれにしても、僕らはカップを手に取り、おそるおそる口をつける。口をすぼめ、香りを反芻する。それはある種規定されたルールのようなものであり、コーヒーを飲む者の儀式といえるだろう。ベトナムであろうが沖縄であろうがコーヒーを飲むしぐさは世界基準なのだ。
僕らは果たして、コーヒーに対し、共通のアイデンティティを見出しているのだろうか。もしかするとまったくその逆で、コーヒーが僕らのしぐさを支配しているかもしれない。もし仮に後者の事実が僕らとコーヒーの間に横たわっているのなら、それも何年も何百年も前から横たわり続けているのなら、僕らのコーヒーを飲む瞬間は、ひどく興味深いものになる。
長い間「僕らのコーヒー」は、意識と無意識のあいだで見え隠れしてきたのだ。ただそこに、いかにもあたりまえに存在し、人々の日常のなかに、街の景色のなかに、確実にそれはあったのだ。しかし僕らのコーヒーは旅をする。空港内のカフェで、あるいは軒先のテーブルで。ときに表情を変えることが僕らのコーヒーにはあるのだ。不思議なことが僕らの手のなかで起こる。口に近づける、その一瞬間のうちに、どこか別の場所の、心地よい景色が流れ込むことがある。決まった味が彩るときがある。僕らはそのような瞬間を、少なくとも僕はその瞬間を、愛してやまないのだ。
今朝、僕の座るカフェの道の向こうに、細身のフランス女性が同じく腰を下ろしている。彼女の前には曲線豊かなマグカップがおかれていて、おそらく数秒後に、それは彼女の唇に近づいていく。僕は右手のコーヒーに、ふと彼女を感じたくなる。それは往々にして、当然やってくる。足を組み直す彼女の物憂えげな目が僕をとらえる。僕はそれを感じることができる。それからほどなくして、僕らはほとんど同時にカップを握り、口をつけたのだった。