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「言葉を生む」ということ|鴻巣友季子『全身翻訳家』

この本に出会うまで、「翻訳家」という職業に特段惹かれたことはなかった。「そういうこと」ってけっこうあるのではないか。たとえば、街を歩く時に何気なく見ているもの(高層ビル、信号機、広告)が、ある時ふと、ひときわ感銘を受けるなにかに見えることがある。いつも見ている風景の一部が浮かび上がって見える、ということがある。このエッセイ集は、日常多くの人間が気づかずに通り過ぎてしまうような、些細な発見に溢れている。翻訳家ならではの視点と豊富な語彙力によって、ほんの少しの新しい認識が生まれることは、これまでの認識とそう違わないだろう。しかし大人になって、まったく新しい発見など、いったいどれだけあるというのだろうか。たとえ小さい発見だとしても、たしかな手応えを与えてくれるものはそう多くない。

文化に根づいた単位

とくに「訳せない単位」というエッセイが面白い。著者は英語の小説などに登場する six of one, a half dozen of the other というフレーズに注目する。「六と言おうと半ダースと言おうとおなじ」つまり「どちらでも違いがないもの」という意味である。とくにこれといった違和感はない。しかし just a half dozen of kids という言い回しの場合はどうだろうか。これを「日本語に翻訳する」となれば事情が変わってくる、というわけだ。ちなみに本文中の訳には「お子さんまとめて半ダース」という可笑しな訳も登場する。「ダース」という単位がいかに欧米の文化に根差しているかについて、ユーモアも交えながら解説している。

鴻巣友季子『全身翻訳家』
ちくま文庫

著者の興味深い指摘のなかに、単位がひとつの文化の精神的スケールだと語った節がある。そこで引き合いに出されるのが『新しい単位』というジョーク本だ。「注いでいるビールが溢れそうになった時の緊張度を基本単位の1オットット(Ott)」とするならば、「わが子に『赤ちゃんはどうしたら生まれるの?』と聞かれるのは4550オットット」に相当するらしい。なぜ「4550」だったのかは分からないが、相当な慌てっぷりだけは伝わる。正確性はともかく、日常の何気ないシーンを単位であらわしてみる、というのは面白く、かつ有用かもしれない。しかしながら、このユーモアあふれるオットット(Ott)は日本のビールを注ぎ合う文化に由来しているために、文化的な背景が分からないことには笑えない。「オットットってなに?」という事態が起きてしまう。

とはいえ、ビールを注ぎ合う文化は日本に限られた話ではない。『贈与論』で知られるマルセル・モースの著作には、英語で贈り物を意味する gift が、ドイツ語では2つの意味をもち、贈り物とは別の意味として「毒(poison)」が挙げられている。これは、贈り物としての gift が、かつて贈与交換にその根をおろしていたことが理由である。贈与について気になる方はこちらの記事を参考にしてほしい(1507夜『贈与論』。儀礼的な交換行為であるクラ(kula)交易の大まかな説明も書かれている)。その gift というのが当時でいうビールであり、味や質に大した差のない(であろう)互いのビールを杯に注ぎ合うのだ。そして飲む。ここで2つの次元の毒が登場する。1つは、注いだビールに毒が盛られている場合。もう1つは「酒を酌み交わした」という記憶。gift (贈与)には贈与した人間の気持ちが付着する、というわけだ。いわゆる「負い目」の誕生である。

著者はオットット(Ott)といった文化に根づいた単位について言及したわけであるが、いささか脱線気味な展開をみせるのであれば、「オットットの面白さ」自体は広く理解されそうである。「ビールを注ぎ合う」という無駄な交換行為を理解できる文化は意外と多いのではないだろうか。いつの日か旅先のパブで知り合った現地人と酒を飲みながら、コップに注ぐビールに「オットット」とシンクロしてみたいものだ。

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