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「無意識の嘘」を問う作品|ベルンハルト・シュリンク『夏の嘘』

世界的ベストセラー『朗読者』はあまりにも有名な作品である。英語タイトルは The Reader であり、2008年には待望の映画化(『愛を読む人』)、15歳の少年が21歳年上のハンナという女性に恋をする物語であった。

「あの夏、ぼくたちの愛は滑空飛行をしていた」―彼女の突然の失踪から数年後の再会、そこで明かされるハンナの衝撃の過去。なぜ彼女は「坊や」に朗読をさせたのか。その秘密を知ったとき、読者は涙せずにはいられない。

ベルンハルト・シュリンクはドイツ人法学者でありながら、同時に小説家でもあるというユニークな経歴をもつ人物だ。フンボルト大学で教鞭をとり、「法と文学」というゼミも開講していたとのことである(本著あとがきより)。彼の作品の数々には似たようなテーマが貫いているのだが、今回読んだ作品においても「真実」と「嘘」、あるいは「秘密」が物語の中心を流れている。著者第2作目にあたる短編集『夏の嘘』について、とりわけ3つの短編を読んで、感じたことを書いてみようと思う。

シーズンオフ

シーンは空港の手荷物検査場から始まる。男女ふたりがある理由から別々の飛行機に乗らなければならず、空港で別れるという話だ。ふたりは再会を約束し、別々の飛行機に乗り込む……。

リチャードは、観光シーズンの過ぎた観光地を訪れ、そこでスーザンという女性に出会う。はじめは小雨の降る静かな岬で、つぎに定評のあるシーフードレストランのテラスでふたりは親睦を深めた。滞在先は別々であったが、あるきっかけを機に一緒の家で過ごすことになる。小雨のように静かに、また暖炉の炎のように激しく過ぎていった13日間だった。

この物語は短編集の1番目に収録されており、短編集全体の雰囲気を伝えるとともに、7つある短編のうちで、もっとも印象深い作品だった。シーズンオフの観光地で出会った男女がどのようにして再会を誓うことになったのか、気になる方も多いだろう。あるいはなぜ別々の飛行機に乗らなければならなかったのか、理由を知りたい方もいることだろう。だが、けっして飛行機を間違えてブッキングしたというようなことではない。そこには「語りの名手」である著者の仕掛けが隠されている。

人は果たして、望んだ未来を素直に進めているのだろうか。あなたは、ある「嘘」や「言わなかったこと」によって、予定された未来を迎えることができなかった経験をお持ちではないだろうか。もう既に過ぎてしまった過去の地点に、大事な何かを忘れてきてしまってはいないだろうか。そしてそれは実はとても、些細なことだったのではないだろうか。未来のある瞬間に気付いてしまってはもう遅いのである。

真夜中の他人

これまた空港のシーンが登場する。飛行機の遅延によって空港のラウンジで待機していた搭乗予定客は、通常運行であれば知り合う予定のなかった人と知り合うことになった。遅れて到着した飛行機は乗客を乗せて飛行場を後にするが、乱気流の影響によるアクシデントによって最寄りの空港に緊急着陸を余儀なくされる。予定よりも早く地上に降りた乗客たちは空港で夜を明かすことになった。

度重なるアクシデントを経験した乗客の間には、ある種の友情のようなものが生まれていたのかもしれない。そして、いつもであれば冷静な自分がいくらか興奮気味だったのかもしれない。偶然としてのアクシデントで知り合った彼もきっとまた偶然に出会ったのだ。そこに必然などなかったはずだ。この歳になって、どうして何かの事件に関わることがあろうか。そう、真夜中の他人に、パスポートを盗まれたのである。いや、そうではない。正確にいえば、パスポートが盗まれることを黙認したのであった。

物語に登場するパスポートを盗まれた男の回想をするのであれば、上のような感じになるだろう。これだけ聞けば、被害者が誰であるのか、また加害者が誰であるのか、一目瞭然である。しかし、この物語が興味深いのは、偶然性を帯びた情報と過失を黙認するという自己判断が錯綜するところにある。言い方を変えれば、物事のしかるべき線引きや通例が歪んでしまうことにある。

何が正しく、何が悪いのか、という判断基準をこえて、人は時に乱気流に突入することがあるのかもしれない。そこでは、ひたすら耐えるほかないのだろう。

森のなかの家

半年前に森のなかの家に引っ越してきた。場所は以前いたニューヨークから遠く離れた田舎のまち。買い物に行くにも車に乗って山を下っていかなければならない。そんな場所に暮らすことになったのは、彼女の多忙な生活を隣で見ていたからである。彼は、人気作家として原稿の締切や取材に忙しいケイトをみて、このままでは娘のリタとの時間や自分との時間を上手く過ごせず、最悪な未来が到来するのではないかと思った。だから執筆に集中でき、かつ家族の時間もたっぷりとれる森のなかに引っ越してきたのである。

彼にとって、また彼女にとって、すべてが順調だった。娘との会話、家事の分担、暖炉の前で過ごすふたりの時間。思い描いていた理想の生活が続いていた。

ある日、ケイトが執筆していた小説が完成した。ケイトは自分がいささか有名な作家になっていることを自覚し始めていたし、久しぶりにニューヨークの仲間たちにも会いたいと思うようになった。そしていつもひとりぼっちのリタのためにもホームパーティを開こうと考えた。なんせ半年も家にこもって執筆をしていたのである。しかしこの時、彼は彼女に対して、「我慢していたこと」を打ち明けてしまう。それに対して彼女は驚き、彼は必死になった。お互いの我慢は、お互いのことを思うがゆえに、古い屋根裏のほこりのように、静かに積もっていったのである。

リタは攻撃的な彼に恐れを抱き、ケイトと山を下りていってしまう……。

まとめ

相手を思う気持ちが逆に相手を傷つけていたと知った時、あなたならどうするだろうか。一旦その場では折り合いがついたとしても、夜眠る時、あるいはひとりの時間を過ごす時、ふたたび考え込んでしまうのではないだろうか。ここに登場する人物たちは時々考え過ぎるし、未来をネガティヴに捉え過ぎているかもしれない。とはいえ、じき来たる現実に備えて対策を練る姿や、相手や自分自身に対する洞察力に感動を覚える場面も何度か登場する。これらの物語から学べることはたくさんあると思う。しかし、現実はあまりにこじれているし、多方面で影響を与え合っているから、ある特定の状況を除いては、この学びを上手くいかせないだろうな、とも思う。少なくともこの短編集に書かれていることはあるパターンに過ぎないのかもしれないと。

また翻訳について、松永美穂さんはベルンハルト・シュリンクさんの『朗読者』や著者のその他数々の作品を訳しています。この作品と出会うきっかけをくれた『朗読者』には大変な感動を受け、その訳の精密さにはいつも驚きを隠せません。冒頭で引用した文章「あの夏、ぼくたちの愛は滑空飛行をしていた」に続く素晴らしい例えの一文をぜひ読んでみてほしいなと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ベルンハルト・シュリンク『夏の嘘』
松永美穂 訳 新潮クレスト・ブックス

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