Dance of the Happy Shades / アリス・マンロー - 文学ナビ
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Dance of the Happy Shades / アリス・マンロー

さまざまな海外文学が日本語に翻訳されているなかで、新潮クレストブックスが刊行している作品というのは他の出版媒体では見られないものが多い(と思う)。以前このサイトで紹介したエトガル・ケレットも、新潮クレストブックスで初めてお目にかかり、『黙禱の時間』で大変な感動を受けたジークフリートレンツも、この媒体でこそ沢山の作品を見ることができる。

短篇の名手としてのアリス・マンロー

今回紹介するカナダ出身作家のアリス・マンローの作品には、独特の雰囲気があり、日本人作家の作品ではなかなか馴染みのない「短篇」ならではの世界観が、登場人物の「リアルな体験」という形で読者に伝わってくる。自分とは全く縁のない人間の人生に、いつのまにか感情移入している自分がいることに気付き、そのアンフェアな物語の真ん中に自分が置かれたような錯覚に陥ってしまう。15編ある短篇作品の中から、特に印象に残った作品を1つ取り上げ紹介したい。

少女が確信した「人生の秘密」

いろいろな短篇作品を読んだ中で、とりわけ印象的だったのは『ウォーカーブラザーズ・カウボーイ』という短編だった。登場人物である「わたし」の父は、街で展開する訪問販売員で、受け持ちの地域の中をぐるぐる回っては、常連のみなさんに商品を届ける毎日を送っていた。ある日、わたしや弟を連れて仕事に行くことになったのだが、その日は受け持ちの地域を少し離れて、いつものルートとは違う道を通りながら販売に向かったのである。

理由はいろいろあったのだが、着いた先の家には目の見えない老婆が居て、椅子に座り、父の名前をなつかしい様子で呼び始めたかと思いきや、同じ家のなかにいた老婆の娘らしき人物が父の手を掴み、エアコンの効かない部屋でダンスを始めようとしている。その女は「昔みたいに踊ってよ」と言いながら、父に「父の嫌いなはずのウイスキー」を勧めてくるという始末だ。わたしと弟は、庭で遊ぶように言われて、それこそ弟は楽しい遠足のような気分だが、わたしはその時に初めて、父のもう1つの顔を目撃するのである。特に帰りの車内で、父の後姿を眺めるわたしが独りでに語った「誓い」と「確信」には、多くの読者に共感と、人生の複雑奇妙な瞬間を思い起こさせるに違いない。

非日常の住処

すべての物語には読者を惹きつける何かがあって、それを今回紹介した短篇に当てはめて考えてみるのであれば、それは「非日常の住処」ということになるのではないだろうか。いつもとは違う受け持ちの地域に行くことになり、いつもとは違うルートを通る父、そして着いた知らない場所。日常で過ごす場所を少し離れて違う世界を見た「わたし」が、いつもの世界に戻る前に行う「誓い」、ここにこの物語の生き生きとしたものが詰まっているように感じる。父はためらいながらも、子どもたちが来ることを拒もうとはしなかったのだ。湖に囲まれた街で育った、決して裕福とは言えない家庭で起きたある日の出来事。そこには誰もが経験したことのある「人生の秘密」がしっかりと閉じ込められていた。