ブックリポート|遠藤周作『深い河』 - 文学ナビ
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ブックリポート|遠藤周作『深い河』

本書は、遠藤周作が晩年(1993)に、現代人の「救い」をテーマに書いた本である。この作品の書評として、作家の大江健三郎は「懐かしい主題とエピソードと性格とを総動員」した作品とし、これまで遠藤周作の作品に登場した人物を書評通り、総動員させて描かれているのが特徴だ。数々の遠藤周作作品を読破した方にはもちろんのこと、われわれ現代人が何かに行き詰まったとき、この本は様々な形の「救い」を読者に提示してくれるに違いない。現代の日本に生きるわたしたちにとって「救い」とは何であるのか。われわれとは無縁に思える宗教や、祈る(願う)という行為、「救い」そのものに興味がある方にとっては非常に参考になる興味深い内容である。

それぞれの「救い」

本書は、13章で構成されている。遠藤は、現代人それぞれの「救い」をこの作品で描こうとした。それは作品の書かれた時代背景から、いくらかその意図を読み取ることができる。この『深い河』が書かれた時代は二重性の時代と言われ、「信じるもの」同士の対立が1984年のインディラ・ガンジー暗殺をひき起こし、また、93年は個人化する宗教が表面化した時代でもある。1995年には、オウム真理教信者たちによる「地下鉄サリン事件」が勃発し、阪神淡路大震災もほぼ同時期に発生した。

この二つの事象に関連性を見出すことは難しいかもしれないが、ある種「なにか大きなもの」の最後の爆発、あるいは「本当の意味での」終焉、もしくは新たな個人(思想)の表出を、一般人含め多くの日本人に意識させた可能性は十分にあり得る。おそらく多くの一般人が、日本で地下鉄サリン事件のようなことが起こるとは予想しなかっただろう。それは一つの見方として、1980年代後半に、昭和天皇崩御、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、米ソ冷戦終結宣言のような事柄が相次ぎ、そこで第二次世界大戦後のシステムの終焉を告げられたと解釈できるからである。第二次世界大戦という大きな物語が終わる―その事実が宗教の個人化を意識させる一方で、終末の到来を叫ぶ新興宗教がその力をつけていった時代こそが、遠藤周作が、『深い河』を書いた時期であるのだ。このような時代のうねりのなかで、日本のカトリック作家である遠藤周作が「現代人」5人を主人公に置いた物語を描いたことに注目したい。

狭間に生きる「現代人」

これまでの宗教と言えば、そこには、大勢の信者が信じる対象があり、その場を取り仕切る司祭が存在し、集団の中に「中心」が存在していた。それは大きな宗教(キリスト教、ヒンズー教など)に限らず、新興宗教にも共通の性質である。そうした集団には集まるための一つのテーマがあるのだが、それがあらゆる種類の「救い」に他ならない。われわれが何かを祈る時、われわれが何か大きな力を動かそうとする時、そこには「救い」の意思が介在する。何か大きな流れのなかにあるものが宗教そのものであり、向かう先にみなが一斉に「前ならえ」をしている状態がこれまでの「宗教」であったのかもしれない。しかしそういった本来の宗教が力を失っていくことで、逆に「それぞれ」が強調され、あらゆるものの在り方が、個人へ転じていく時代の一端をこの作品は捉えていたのではないか。

筆者はこの「現代人」5人の主人公を、二つの大きな物語―第二次世界大戦後のシステムの終焉と新たな個人の「救い」を同時に背負う「境界人」として位置づけようと作品を読み進めた。主人公たちを現在に生きる現代人と同じと読むか、あるいは1990年代に生きた現代人として読むかで、この作品を「読む」深さは大いに変わってくるであろう。二重性を秘めた時代に生きた「現代人」の複雑なアイデンティティを、作品を読む「自身」と照らし合わせて読むことが、この『深い河』が書かれた当時に近い状態で読むことができる一つの指針になるに違いない。

4人の現代人とガンジス河

ここで、この5人の現代人のうち、4人がどういった状況で、「それぞれ」の想いで「聖なる河」に向かうのかを垣間見ていきたい。注目すべきところは2章「説明会」である。「聖なる河、ガンジスが心を清め、人と動物がひしめく迷路のような市場をさまよう。その昔、インダスのほとりに文化が開花したインド」(p.43)は説明会での冒頭で書かれる文章である。この文章は語り手のことばにも受け取れるが、このツアーのコンセプトであるとも読み取れる。あるいはスクリーンに映し出された言葉であるかもしれないし、様々な動機をもつ主人公5人を統括した、所謂スローガンのようなものかもしれない。なぜ2章の冒頭で語り手にこのような言葉を語らせたのか、それは読者のためなのか、考えてみると興味深いことが分かるかもしれない。少し読み進めていくと、この物語の主人公が数人ほど登場する場面がある。インド行きのツアーガイド役である添乗員の江波が現地での注意事項をいくらか述べたあと、聴衆からの質問タイムが始まり、主人公たちが作品に登場していく。まずは沼田である。

「沼田といいます。野鳥保護地区に行きたいのです。そのためアーグラかバラットプルに一人、少し残っていたいのですが」「このツアーは仏跡訪問ツアーですが、訪問先きで一カ所の町にお残りになって、あとで全員に合流なさりたいのなら御自由ですよ。動物がお好きですか」「はい」「印度自体が自然動物園のようなものです。至るところに猿やマングースや虎が住んでいます。コブラまでも」

遠藤周作『深い河』p.45

沼田は幼少時代を、当時、日本が植民地化していた満州の大連で送った(p.113)とある。ここで自分の悲しみを分かってくれる同伴者としての捨て犬(クロ)との離別を経験する。彼は自身の幼少時代の経験である、動物と「通じる何か」から、生きるための「救い」を見出していた。それは大学生になる沼田を童話作家の道へと進ませることになる。また、作家時代に買っていた鳥(ピエロ)が、沼田の手術中に病院の屋上で亡くなったであろうことに、沼田は自分の「身代わり」となって亡くなったピエロに再度「通じる何か」を見出したのである。「実は……沼田さんの心臓……手術台でしばらく停止したんですよ」この時も沼田のまぶたには「は、は、は」と笑う九官鳥と本棚の上から馬鹿にしたように見下ろした犀鳥とが浮かんだ(p.133)。このことから「野鳥保護地区に行きたい」沼田の童話作家としての情熱と、「恩返し」をしたいという想いが汲み取れる。次は木口である。

「向うの寺で法要をお願いできるでしょうか」「寺とおっしゃいますと、ヒンズー教の寺院ではなく、仏教の寺ですね。失礼ですがお名前は」「木口と言います」「木口さん、何か特別な法要でしょうか」「いや、私は戦争中ビルマで多くの戦友を失ったし、印度兵とも戦ったので、その……敵味方の法要を向うでお願いしたいと思いまして……」

遠藤周作『深い河』p.46

前述のように、木口はビルマ(現在のミャンマー)で第二次世界大戦時、日本兵として戦った。そこで多くの戦友を失い、深い悲しみを負っている。当時の過酷な状況を、木口は「あの退却、あの飢え、あの毎日の豪雨、あの絶望と疲労―それらは江波の世代には絶対わかりはしまい。木口も話す気にはなれない。たずねられれば苦笑するより仕方がないのだ。」(p.136)とインドへと向かう航空機のなかで、添乗員の江波の発言「へえ、ぼくたちの世代はよく知りませんが、あそこの戦争はひどかったそうですね」に苦笑するのである。木口はビルマでの過酷な状況を、雨が叩きつける樹海。そのなかの退却。マラリヤ。飢餓。絶望。(あの時、俺たちは死にむかって夢遊病者のように歩いていた)と付け足し、ビルマの雨季の脅威を物語ると同時に、他のツアー客とは「異質」であることを強調しているようにも読み取れる。説明会が終了し、ホールから一同が出ていく場面で、旅の主人公の3人目と4人目である磯辺と成瀬美津子が登場する。ホールを出る一同にまじって立ちあがった美津子は前列の男から声をかけられた。

「成瀬さんじゃありませんか」「はい」「お忘れですか。妻が病院で看病して頂いた磯辺です」記憶の底から、あの辛抱づよい末期癌の女性と毎日のように病室を訪れていたこの夫が浮かびあがった。

遠藤周作『深い河』p.48

磯辺は妻を亡くし、妻の居ない生活に耐えながら生きている1人の男である。どうしても妻が亡くなったことを受け入れられない磯辺は、妻が最期に残した言葉「必ず……生れかわるから、この世界のどこかに」探して……わたくしを見つけて、(p.33)を受けて、アメリカで研究が進む「死後生存」に興味を持つようになる。また、成瀬美津子は学生時代、仏文科に属し、ジュリアン・グリーンの小説「モイラ」の女性主人公の名を「あだ名」として呼ばれていた女である。小説のなかの「モイラ」は、自分の家に下宿した清教徒の学生ジョセフを面白半分に誘惑した娘である。(p.53)学生時代、まさしくその「モイラ」の現代版とも言えるような立ち振る舞いをする成瀬美津子は、純粋な男子学生「大津」を弄ぶのであった。しかしながら、彼女も他の主人公たちと同様に「救い」を求めていた。「イッキ、イッキ」とボーイ・フレンドたちと酒を飲んでいた、学友たちとのそんな日々を「青春」だと錯覚していた馬鹿な学生。美津子はそんな仲間に囲まれながら彼らを心のどこかで軽蔑していた。(p.50)これを語り手が述べた後に、次の文章が続く。その頃から彼女は通俗な今後の生活しか考えぬ同級生とちがって、人生がほしかった。(p.51)成瀬美津子にも「救い」を求める心があることを確認できる。語り手が他の主人公たちと違い、成瀬美津子を「美津子」と名前で呼ぶのは、精神が若いことを象徴するために遠藤が意図的に設定したとも受け取れる。このことから、磯辺と美津子の「救い」を垣間みることができる。

越境する者と聖なる河

以上のように、2章「説明会」を取り上げ、主人公4人の「それぞれの救い」を確認した次第であるが、彼らはこのあと「印度」へと赴き「聖なる河」に向かう。それは、「皆さん色々なお気持ちで、印度に向かわれるんですね。(p.50)と美津子が話したように、ツアー参加者の「救いの対象」が統一の宗教世界で共有されているのではなく、あくまでそこには「個人」が優先されているのである。『深い河』以前の旅行あるいは旅をみれば、巡礼の旅なるものがその多くを占めており、個人というよりは、共通の認識・共通の世界観が世間で共有されていたように思える。したがって、この『深い河』の時代は、「個人」がむき出しになっていく時代の一部を切り取ったものであり、集団ありきの宗教に「個人」という分野が確立した時代であるのかもしれない。様々なものが「集団」から「個人」へ移行する時代に生きた「現代人」たちは境界人であり、越境者である。