「村上春樹と《鎮魂》の詩学」講演を終えての感想とまとめ
2019年1月29日、新丸の内ビル10階にて行われた「丸の内で『京大人文知』を連夜解放」第一夜に参加してきました。公開授業のような形をとった今回の講演会には、大学生から年配の方まで計40名ほどが駆けつけ、村上春樹さんの作品に対する「読み方」を、講師である小島基洋准教授(京都大学 人間・環境学研究科)に聞きました。
ここから先の文章は、とくに村上春樹さんの初期三部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)を読んでいない方にはネタバレになってしまいますので、これから読む予定がある、という方は読了後に記事を読んでいただければ幸いです。なおこの記事は、講演会で使用されたハンドアウトを随時抜粋しながら、個人的な見解も含めながら書いています。抜粋元は主に「ハンドアウト」、または「作品」となりますのでご了承下さい。
1.『風の歌を聴け』
『風の歌を聴け』は村上春樹の処女作として、あまりにも有名な作品です。海辺の街を舞台に、8月の19日間に起きた出来事を、軽快な文章で綴っていきます。
小島准教授は、村上春樹さんについて、「スタイリッシュな文章を好む作家」と語っていました。たしかに、作品中でもかなりの数の「スタイリッシュな」文章を見つけることができます。たとえば……
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
とてもスマートな、余分な部分をそぎ落とした文章のように感じます。この独特の文体は、村上春樹さん自身が後に語っているように、英語で書いた文章を「日本語に翻訳して」書いているためだと言われています。どのような意図があってそのような文体にたどり着いたのか、考えてみると面白そうですよね。海外文学の多くがそうであるように、一文が短く、リズミカルなものを目指したのか、あるいは単に村上春樹さんが好きな文体だったのか、そこまで把握出来ていないことが残念ではありますが、気になる方は調べてみてもいいかもしれませんね。
私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する
たったの18語で構成された文章ではありますが、大学1回生の僕には衝撃的だったのを今でも覚えています。村上春樹さんの初期作品には比較的こうした印象の強い文章が多く見られるような気がします。
3人目のガールフレンドの死
3人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首をつって死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる2週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。
僕にはまったく見当もつきませんでしたが、「3人目の相手の死」という内容を「ハートフィールドの死」という内容に差し換えている点を指摘されていました。たしかハートフィールドの死は、彼が生きていた時と同じように特に知られることもなかった、と書かれていたと記憶しています。だとすれば、雑木林で首をつって死んだ「3人目の相手」と「ハートフィールド」の死は、「誰にも気づかれなかった」という点で重なるのではないでしょうか。具体的な事柄を小出しにしつつも真実を語らない姿勢がうかがえます。
真実を語らないこと
「嘘つき!」と彼女は言った。
しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。
「僕はひとつしか嘘をつかなかった」この文章の嘘はいったいどんな嘘を指しているのでしょうか。これも作品を読みながら考えてみたいところです。
隠蔽された原題 Happy Birthday (Unhappy Death , day?)
講演会の中で、特に印象的だった話題です。『風の歌を聴け』には、実は英文で原題がついており、[BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS]となっています。
僕は英語があまり得意ではないので批判のしようがないのですが、〈Birthday〉という単語が独立して使用されるケースがいったいどれだけあるのでしょうか。おそらく〈Happy Birthday〉と表記するはずだったのだと思いますが、あえて〈Happy〉の部分を隠すことによって、隠蔽された原題が完成しています。この原題を〈Unhappy Death , Day〉とアナグラム的に読むことで、作品をつらぬく虚偽性がより浮かび上がってくるように思います。少々強引な読み方のようにも感じますが、「翻訳家」としての顔をもつ村上春樹さんであれば、こうした言葉遊びをする(本人にとってはそうせざるを得なかったのかもしれませんが)可能性は十分に考えられます。
ちなみにこの原題は文庫本の表紙、上部に小さく印字されているので、気になる方は書店でチラッと見てみるのもいいかもしれませんね。
『風の歌を聴け』に始まり『風の歌を聴け』に終わる
僕と同じくらいの世代には、代表作『ノルウェイの森』や『1Q84』、『海辺のカフカ』などの作品の方が馴染み深いかもしれないですね。それらの作品は村上春樹さんの著作の中でも初期から外れて分類されることが多いので、初期作品にみられる独特の雰囲気や「かっこよさ」のようなものは失われているように感じます。もちろん「生と死」に対する考え方や向き合い方についての物語は、村上春樹さんの作品に流れるテーマだと思いますけれども……
僕は『風の歌を聴け』との出会いが、村上春樹作品との最初の出会いとなりました。そのあとにそのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』というふうな読み方をしていきます。今回の記事も「青春三部作」といわれる上述の作品に触れながら、講演会のハンドアウトと感想を織り交ぜて進めていくつもりです。部分的に読みの浅い箇所があるかもしれませんが、ご容赦いただけると幸いです。
それでは次の作品にいきましょう。
2.『1973年のピンボール』
青春三部作の2作目にあたる作品です。処女作『風の歌を聴け』、3作目『羊をめぐる冒険』はかなり有名な作品だと思いますが、『1973年のピンボール』は、どちらかといえば印象の弱い作品のような気がします。というのも、この作品で描こうとしたものが難解だったと指摘されるからです。その難解さについては後ほど小見出しで紹介していきますが、とりあえず初期の匂いがぷんぷんする文章からどうぞ。
これは「僕」の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話である。
その秋、「僕」たちは700キロも離れた街に住んでいた。
1973年9月、この小説はそこから始まる。
それが入り口だ。出口があればいいと思う。
もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。
これは冒頭部分の文章になるのですが、はじめから気怠さを帯びた感じが伝わるかと思います。こうした雰囲気で始まる文章に、ピンボールという時代を印象づける要素も手伝って、作品には全体的にホコリのようなものが漂っています。読まれた方の中にはこの作品を好む人と、あまり好まない人が居るかと思いますが、僕は村上春樹さんの作品のなかで割と好きな作品です。物語がゆるゆると進んでいく印象ですね。
ピンボール台からのメッセージ
人にできることはとても限られたことなのよ、と彼女は言う。
そうかもしれない、と僕は言う。でも何ひとつ終わっちゃいない、いつまでもきっと同じなんだ。リターン・レーン、トラップ、キック・アウト・ホール、リバウンド、ハギング、6番ターゲット……ボーナス・ライト。121150、終わったのよ、何もかも、と彼女は言う。
この文章だけでは意味を読み取ることはできませんが、作品中の「僕」は、実はピンボール台に話かけているんですよね。とても奇妙なシチュエーションではありますが、友人である「鼠」とは700キロも離れていたため、前作のように「プール一杯分のビール」を飲み干すわけにもいかず、「僕」は途方に暮れていたのかもしれません。いずれにしても、この作品ではピンボールに明け暮れる様子が描かれます。そして彼の前に双子の女の子があらわれます。
バス停でピンボール・プレイを
僕たちはゴルフ場の金網を乗り越えて林を抜け、バス停のベンチに座ってバスを待った。日曜日の朝の停留所はすばらしく静かで、おだやかな日ざしに満ちていた。僕たちはその光の中でしりとりのつづきをした。五分ばかりでバスが来ると僕は二人にバスの料金を与えた。
「またどこかで会おう。」と僕は言った。
「またどこかで。」と一人が言った。
「またどこかでね。」ともう一人が言った。
それはまるでこだまのように僕の心でしばらくのあいだ響いていた。
バスのドアがバタンと閉まり、双子が窓から手を振った。何もかもが繰り返される……。
とても比喩的なシーンにはなりますが、実はここで「僕」はピンボールをしていたのではないか、という読み方がありました。たしかに双子の女の子は左右対称のピンボール台を連想させますし、話す言葉の微妙な違いはピンボール台のそれと似たような構造を想起させます。小島准教授はこのシーンを読み取るために10年もかかったのだとか。
対称としての「鼠」
これは僕(筆者)が作品を読んで思ったことなのですが、「僕」が作中で明るいなにかに向かっていくようにも見えるなか、「鼠」は暗闇の中から抜け出せずにいるようにも感じられるのです(それは次回作の『羊をめぐる冒険』で明らかにはなるのですが)。
鼠は、「人々が変わっていくこと」に愛情も好意も持てない、という人でした。それでも人は変わり続ける、それにどんな意味があるのか、「俺にはずっと分からなかった」と鼠は言っています。そう、ずっと変わらずに生きてきたんです。鼠はそれでいいと思っていたんですね。でも1973年9月、ついにその時が来たんです。鼠はジェイズバーのマスターである「ジェイ」と閉店後の店内で静かに語り始めます。
鼠は唇を噛み、テーブルを眺めながら考え込んだ。
「そしてこう思った。どんな進歩もどんな変化も、結局は崩壊の過程に過ぎないんじゃないかってね。違うかい?」
「違わないだろう」
「だから俺はそんな風に嬉々として無に向かおうとする連中にひとかけらの愛情も好意も持てなかった。この街にもね」
ジェイは黙っていた。鼠も黙った。彼はテーブルの上のマッチを取り、ゆっくりと軸に火を燃え移らせてから煙草に火を点けた。
「問題は、」とジェイが言った。
「あんた自身が変わろうとしてることだ。そうだね?」
「実にね」
おそろしく静かな何秒かが流れた。
その後、鼠は慣れ親しんだ街を去ることになります。個人的にはとても印象的なシーンとなりました。
3.『羊をめぐる冒険』
青春三部作の最後となる『羊をめぐる冒険』は、その名の通り、北海道にいる「ある羊」を探す物語です。もちろん必要に迫られて羊を探すことにはなるのですが、欠けたものを埋めようとする物語の勢いがとても魅力的な作品です。
十年前の直子の死と、十年後の僕の喪失感
僕は29歳で、そしてあと6ヶ月で僕の二十代は幕を閉じようとしていた。何もない、まるで何もない十年間だ。……
最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。しかしそこにはたしか何かがあったのだ。僕の心を揺らせ、僕の心を通して他人の心を揺らせる何かがあったのだ。結局のところ全ては失われてしまった。失われるべくして失われたのだ。それ以外に、全てを手放す以外に、僕にどんなやりようがあっただろう?
少なくとも僕は生き残った。
「少なくとも僕は生き残った」このフレーズが村上春樹さんらしいですよね。「最初に何があったのか、今ではもう忘れてしまった。」というのが、後の文章に続く「失われるべくして失われたのだ」で嘘であることが分かります。主人公の人生に影を落とす「直子の死」があったことを示唆していることは言うまでもありません。前作の「人にできることはとても限られたことなのよ」という文章にもあるように、彼女の死を乗り越えるための嘘、あるいは虚偽と読めるのではないでしょうか。別の角度から読めば、文章レトリックの「誇張法」にあたるような気がします。あえて誇張することによって(嘘をつくことで)、感覚ないし想っている事柄の真実に迫ろうとしているのだと僕は読み取りました。
耳のモデル、あるいは甦(よみがえ)った直子
「まるで生きているみたいでしょ」
「君のこと?」
「うん。私の体と、私自身よ」
「そうだね」と僕は言った。「たしかに生きているみたいだ」
この作品では、「ボンドガール」ならぬ「村上ガール」が次々とあらわれますけれども、とくに耳のモデルをしている女が「耳を解放する」シーンは圧巻です。
「あなたのために耳を出してもいいわ」と彼女はコーヒーを飲み終えてから言った。
「でも、そうすることが本当にあなたのためになるのかどうかは私にも分からないの。あなたは後悔することになるかもしれないわよ」
彼女はテーブルごしに手をのばして、僕の手に重ねた。
「それからもうひとつ、しばらくの間―これから何ヶ月か―私のそばを離れないで。いい?」
「いいよ」
彼女はハンドバッグから黒いヘア・バンドを取りだすとそれを口にくわえ、両手で髪をかかえるようにして後ろにまわして、一度それをくるりと曲げてから素早く束ねた。
「どう?」
僕は息を呑み、呆然(ぼうぜん)と彼女を眺めた。口はからからに乾いて、体のどこからも声は出てこなかった。白い漆喰の壁が一瞬波打ったように思えた。店内の話し声や食器の触れ合う音が、ぼんやりとした淡い雲のようなものに姿を変え、そしてまたもとに戻った。波の音が聞こえ、懐かしい夕暮の匂いが感じられた。
「すごいよ」と僕はしぼり出すように言った。
「同じ人間じゃないみたいだ」
「そのとおりよ」と彼女は言った。
耳のモデルの「非現実的な何か」がよく伝わるのではないでしょうか。ここに、「直子」を読み取った、というわけです。講演会で強調されたのは、上述の太字の「波の音が聞こえ、懐かしい夕暮れの匂いが感じられた」という部分です。耳のモデルが耳を解放した際に、なぜ波の音が聞こえ、懐かしい夕暮れの匂いが感じられたのか、読者はそこで、死んだ直子が甦ったことを知ることができます。
再帰した者たちの消えてゆく余韻
「……あんたたちの世代は……」
「もう終わったんだね?」
「ある意味ではね」とジェイは言った。
「歌は終った。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」
最後の歌が終わり、余韻だけが鳴り響く。主人公の歌も十年前の芦屋浜を歩いたのを最後に終わってしまったのでしょうか。ある命が尽きると、ある命の時間が止まってしまう。それは生きている人間の「生」を殺してしまうのかもしれない。この作品を読んだ大学1年生の頃を思い出して目頭があつくなりました。
ひとつの青春物語として
村上春樹さんの初期三部作は青春時代に特有の物語として読むこともできます。若かりし日の憧れや感覚、「世界」に対する絶望や、「世界」とつながっているような錯覚、誰しも大人になる一時期に抱く想いがあると思いますが、そうしたものが登場人物によって語られることがあります。少なくとも「鼠」はそういう役目を負ったような印象を受けます。これは僕の読み方ではありますが、青春に別れを告げるべく、直子の幻影たちと交流し、そして若かりし日の「私」としての「鼠」に死んでもらう(言い方は少し酷ですが)、そうして「僕」(村上春樹さん)は大人になっていく。そういった意味の物語ではなかったのかと。「生と死のあわい」を書き続ける作家にとって必要なプロセスだったのかもしれません。
4.『パン屋再襲撃』
「ずっと昔にパン屋を襲撃したことがあるんだ」と僕は妻に説明した。…(中略)…「どうしてそんなぱっとしないパン屋さんを選んで襲ったの?」と妻が質問した。「大きな店を襲ったりする必要がなかったからさ。我々は自分たちの飢えを満たしてくれるだけの量のパンを求めていたんであって、何も金を盗ろうとしていたわけじゃない。我々は襲撃者であって、強盗ではなかった」
「我々?」と妻は言った。「我々って誰のこと?」
「僕にはその頃相棒がいたんだ」と僕は説明した。「もう十年も前のことだけれどね。我々は二人ともひどい貧乏で、歯磨き粉を買うことさえできなかった。…(中略)…」
「相棒」「十年前」「歯磨き粉」この単語から導き出せる人物は……。講演会でも色々な憶測が飛びました。僕はてっきり「鼠」のことかと思っていたのですが実は「相棒」が「直子」である可能性が高いことが「歯磨き粉」の描写から読み取れるということでした。たしかに言われてみれば、男同士で同じ歯磨き粉を使うことは(あるにはあるかもしれませんが)ないかもしれませんよね。同棲していることを象徴する物として「歯磨き粉」が選ばれたのではないか、そういう風に語っていました。なるほど、深い読みです。
「あなたと暮らすようになってまだ半月くらいしか経ってないけれど、たしかに私はある種の呪いの存在を身辺に感じつづけてきたのよ」と彼女は言った。そして僕の顔をじっと見つめたままテーブルの上で左右の指を組んだ。「もちろんそれが呪いだとは、あなたの話を聞くまではわからなかったけれど、今ではそれがはっきりとわかるわ。あなたは呪われているのよ」
「君はその呪いをどのような存在として感じるんだい?」と僕は質問してみた。
「何年も洗濯していないほこりだらけのカーテンが天井から垂れ下がっているような気がするのよ」
「それは呪いじゃなくて僕自身なのかもしれないよ」と僕は笑いながら言った。
彼女は笑わなかった。…(中略)…
「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」
少し不気味な比喩ではありますが、青春三部作の一作目『風の歌を聴け』を思い出してみると、たしか3人目のガールフレンドは「みすぼらしい雑木林で首をつって死んだ」とされていました。なるほど、妻は亡くなった「直子」を感じ取っていたのかもしれませんね。上述の文章から、呪いの正体が直子である可能性が濃厚となります。
今回の講演会では、村上春樹さんの作品に影を落とし続ける「直子」について、初期の重要な作品を取り上げながら、村上春樹さん自身が語っていないポイントがあるため、その外堀を埋めていく、というものでした。難しいとよくいわれる村上春樹さんの作品を「直子」を軸に読み解いていくことで、作家の精神世界を覗いてみようということです(ライトな意味合いで)。
5.『ノルウェイの森』
遠い距離で隔てられたドイツ語と阿美寮
台所の日だまりの中でTシャツ1枚になってドイツ語の文法表を片端から暗記していると、何だかふと不思議な気持になった。ドイツ語の不規則動詞とこの台所のテーブルはおよそ考えられる限りの遠い距離によって隔てられているような気がしたからだ。
「対極の詩学」ということで、登場するのは「フランス」と「ドイツ」。このような構図は、ヨーロッパにおける戦争や闘争の歴史をみると腑に落ちるのではないでしょうか。僕はこの作品を最後まで読んでいないので安易に書くことができませんが、そうした視点で読んでいくと分かってくる箇所があるようです。
ドイツ語を履修する緑
「学校が死ぬほど嫌いだったからよ。だから一度も休まなかったの。負けるものかって思ったの。……それで無遅刻・無欠席の表彰状とフランス語の辞書をもらったの。だからこそ私、大学でドイツ語をとったのよ。だってあの学校に恩なんか着せられちゃたまらないもの。そんなの冗談じゃないわよ。
かなり深読みということではありますが、フランスを「仏(ほとけ)」として、ドイツを「独(ひとり)」として読むことができるのではないか、ということでした。というのも、主人公はトーマス・マンの『魔の山』を読んでいます。そこのたしか冒頭部分に「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という文章がありました。その文章を「仏は独の対極としてではなく、その一部として存在している」と読めるのではないか、ということなのです。これはどうなんだろう……と思われる方も多いかもしれませんが、仏教で俗にいう無の境地に達するため孤独になる、といったものと近いような気もしてきます。次の見出しで紹介していきますが、村上春樹さんは「ある意味では僕らの人生というのは孤独に慣れるためのひとつの連続した過程にすぎない」と語っています。僕はまだ若いので、その意味がいったいどれだけの孤独を指しているのか想像力が追い付かない次第ですが、少なくとも「学生」から「社会人」になった寂しさのようなものは感じ始めています。いったい何がある個人を孤独にしていくのでしょうか。
6.『辺境・近境』
小説でもなければエッセイでもない、紀行文のような作品です。さまざまな土地を巡った旅は、なぜか「神戸」で終えることになります。震災後の神戸に戻ってきた村上春樹さんは母校の高校に足を運びます。
遥か眼下に鈍色(にびいろ)に光る神戸港を見下ろしながら、遠い昔のこだまが聞こえないものかと、耳をじっと澄ませてみる。でも何も僕の耳には届かない。ポール・サイモンの古い歌の歌詞を借りれば、そこにはただ沈黙の響きが聞こえるだけだ。まあ、しかたない。なにしろすべては三十年以上も前の話なのだから。
これまで村上春樹さんの作品に影を落とし続けていたのは「直子」という女性でした。たしか彼女とは大学の図書館で知り合っています。「すべては三十年以上も前の話」ということなので、震災(1995年)後に訪れた時から30年以上も前、ということになり「1965年より前」ということになります。しかし思い出してみると、直子の死は「1970年の春」で、「翌年の春休み」に亡くなっています。つまり、直子との出会いは「1969年」となるのです。おや?直子との出会いが69年であれば、65年よりも前に一緒にいた人物はいったい誰なのでしょうか。わざわざ旅の終わりに故郷へと足を運び、昔の思い出に浸るほど当時想っていた人物がいたのでしょうか。
ここで小島准教授は「作家は真実をストレートに語るのではなく、時に迂回して、時間をかけて接近しようとする」といったことを話していました。今回紹介していった「読み方」のスタートは「嘘」だったかと思います。村上春樹さんはとても長い時間をかけて故郷に戻ってきたと読めるわけです。すると、おそらく「三人目の相手」というのは作家によって作られた話であり、「直子」とは実は高校生の頃から交際があり、当時学校帰りに芦屋浜を歩いていたのではないか、だから主人公は最後に残された50mの浜辺で2時間も泣いたのだろう、そういう着地をみせたわけです。作家の苦悩が垣間見えた瞬間でした。
まとめ
今回の記事を読んでまた改めて作品を読み返してみると違った読み方ができるかもしれませんね。「1つの読み方」を知るということは、また違う読み方を知ることのきっかけになります。僕も村上春樹さんの良き読者としてこれからも作品を読み続けていきたいなと思います。